執着を手放す

確かに、、そうだと思っていた。

この執着は、何年も前から生きる上での課題となっていて何でもかんでも思考を働かせず、イライラを無くすために無関心になるということをその時の私を見ていた親戚の叔母から言われたりした。

考えるな!

気にするな!

とね。

で私は、

それは今すごく気になることに対して無関心になれということでしょ?

心を無にするってことになるよね?

と返したことを思い出した。

出来ないよ

というのが私の気持ちにあり、また無関心になれさえすれば悩みがグッと減るということもわかるから。

無関心になれるまでの間、私はすごく気になるのに見ないことにしなくちゃならないということが不安で心配で、、

その頃、記憶を無くしつつあった認知症の母の忘れたくないことを忘れていく不安と似た気持ちを持っていたのだと思います。

私が泣いても、誰も同情などせず逆にそんな涙見られたくないと思うのにもかかわらず想いと裏腹に涙がツーツー流れて最悪なテンションでした。

でもね、わかるんです。

無関心、執着を手放す、

そうすれば自分は楽になれるんだ!

と。

でもそうしたら、相手の思う壺というところと相手だけが逃げ得するというその事実が許せない。

そう。

私の執着は

許せない!

許さない!

という憎しみの感情で今もきっと明日も続いてしまいます。

そんな自分が辛くて、私は

では、

赦そう

赦す

という努力をしてみようと、禅の教えの中に導いてくれそうな言葉を求めます。

でも出来ません。

私はそんな簡単に最強の思いをもつ心を変えられないみたいです。

この頑固さが、いつか息子や兄弟、母の幸せに役立てば良いなぁと思います。

疲れるけど、執着を手放せないカスミの生き方です。